キケロー書簡集
キケローは、ローマ共和制の終わりに活躍した政治家で、ローマ議会での弁舌や弁護士としての論弁はローマで史上最上と言われていた才能の人です。ローマ建国から威勢を誇っていた財閥系の出身が大半であったローマ議会の政治家連中にあって、彼は新興財閥系の出身です。人脈やコネ・ワイロで政治家になった連中と違って(当時のローマ議員の選挙ではコネを使いワイロをばらまくのはあたりまえでした。)彼の場合は、ギリシア留学後、自らの能力と努力で政治家になった人です。それだけに彼は、弁護士として超一流の才能を持ち、当時ローマの討論会にあって必須の討論技術であった修辞技法(レトリック)を自家薬籠中のものとし、被告の弁護や議会演説においては、出生していた聴衆を自らの弁論・演説に引き込み、自分の主張を政敵、同僚たちに納得させていきました。そのようにして出世の階段を駆け上がり、古代ローマ政治界のトップである執政官にまでのぼりつめた人です。
その彼の現存する手紙のやり取りを集めたのがこの「書簡集」です。現存するキケローの書簡ですが、その多くは、友人(アッティクス)、親族(弟・クイントゥス)、政友(ブルートゥス)などにあてたものです。そして、この書簡集に収められたやりとりは紀元前68年から紀元前43年まで の期間にわたって書かれています。 この頃ローマでは、カティリナの陰謀が起こり、カエサル、ポンペイウス、クラッススによる第一回三頭政治が成立、さらにはカエサルのガリア遠征を経て彼ががルビコン川を渡りローマ内戦が勃発。ついにはポンペイウスとの内戦へ突入。そして、カエサルがファルサルスの戦いでポンペイウスを破る、、といった、いわゆる共和制ローマが地殻変動をおこしたような政変に沸き返っていた頃にあたります。そういった時期に、キケローは弁護士、財務官、執政官として活躍しました。そいうった歴史的意味においても本書は価値があります。
ここで、Wikipedia から彼の履歴を紹介します。「マルクス・トゥッリウス・キケロ(ラテン語: Marcus Tullius Cicero, 紀元前106年1月3日 - 紀元前43年12月7日)は、共和政ローマ末期の政治家、弁護士、文筆家、哲学者である。名前はキケローとも表記され、英語読みではシセロ。カティリーナの陰謀から国家を救うなど活躍。哲学者としてはラテン語(つまり当時ローマの母国語)でギリシア哲学を紹介し、プラトンの教えに従う懐疑主義的な新アカデメイア学派から出発しつつ、アリストテレスの教えに従う古アカデメイア学派の弁論術、修辞学を評価して自身が最も真実に近いと考える論証や学説を述べ、その著作『義務について』はラテン語の教科書として採用され広まり、ルネサンス期にはペトラルカに称賛され、エラスムス、モンテスキュー、カントなどに多大な影響を与えた。また、アリストテレスのトピックスに関して『構想論』『弁論家について』『トピカ』の三書を著し、後のボエティウスによるその概念の確立に大きく貢献している。キケロの名前に由来するイタリア語の「チチェローネ」という言葉は「案内人」を意味するが、ギリシア哲学の西洋世界への案内人として果たした多大な影響をよく物語っている。」
まさに、当時の知の最先端であるギリシアで哲学や弁論学・修辞法を学びローマの母国語でギリシア哲学を紹介するなど、学歴でも際立った成果を残しています。しかし、私がこのブログで本書を紹介したいと思った動機は、彼の出世履歴のすばらしさからではありません。
この書簡集にのっている当時高名な政治家や友人たちとの手紙のやりとり、それらの内容を読むと、キケロの話術(手紙を書く技術)に圧倒されるような思いを持ちます。彼が送る書簡の相手には例えば、政敵だったユリウス・カエサルなどもいますが、そういった政敵とみなされる相手にも、自分の言いたいことをまずは相手の立場(感情)をくみながら、相手を立てながら、(謙遜するように)相手を尊重していることを示してから、おもむろに相手と自分との共通の話題にもっていき、それに対する自分の立場、考え方、そして最後に当該書簡における相手への自分のお願いや主旨(本題)へと移っていきます。相手をその気にさせる表現を駆使し、相手のの胸襟を開いたところで、今度は自分の思いを100%述べる技術は、上品で嫌みのないギリギリを行く見事な表現というしかありません。この彼の人を説得させるライティング・コミュニケーションの技術こそが、ここで本書を取り上げた理由です。
現代においても、スピーチにおいても、ライティングにおいてもその必要性は同じ。通常の我々の業務においても、いわんや自分にとって政局が難しく政敵と対峙しなければ前に進めない時期にあっても臆することなく、しかし必要以上にへりくだることもなく、威圧することもなく、相手の長所も認めながら、時には相手を称賛しながら、相手の心を開きズバッと相手の懐へ入って己の心情を訴える、こういった技術はスピーチにおいても、ライティングにおいても組織で上を目指す人なら必須の技術だと思います。
自分と価値観が共通な友人や、好意を持ている知人同士ならならコミュニケーションは楽ですが、考え方が違っていたり、心からは共感できない相手へ親しみや礼儀を失することなく打ち解け相手の共感を得ながら丁寧な文章を綴りたい、というシチュエーションってどんな人にもあると思います。そういったとき、本書のキケローの文体にはお手本になる表現や言い回しが随所に見られます。
本書の他、キケローの著書では、日本では「弁論集」の他、「老齢について」「友情について」など人生について語られた本が紹介されていますが、特に「老齢について」なんかは、老いにおける人生の成熟の豊かさが彼独自の表現で書かれており、日本の近年の高齢化においても「人生の豊かさ」について考えさせられることがたくさん述べられています。古今東西を問わず彼が第一級の教養人であることが理解できます。さらに、(この書簡集を読むとよくわかるのですが、)時に優柔不断さや滑稽さ、おかしさなど彼の正直な性格も垣間見られます。このように頭脳の明晰さとちょっと憎めないコミカルさが同居する性格がキケローの魅力なのかもしれません。
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