夜と霧

  この「夜と霧」(新版)は、アウシュヴィッツと、他2つの強制収容所の収容体験をした精神科医/脳外科医であるヴィクトール・E・フランクル氏により1956年に出版された強制収容所での体験記を、そのフランクル氏自身が1977年に新たに手を加えた改訂版です。

  まず、フランクル氏の簡単な略歴ですが、1933年から、ウィーンの精神病院で女性の自殺患者部門の責任者を務めていましたが、ナチスによる1938年のドイツのオーストリア併合で、ユダヤ人がドイツ人を治療することが禁じられ、その精神病院での職を解かれました。1941年12月に結婚したのですが、その9ヶ月後に家族と共に強制収容所のテレージエンシュタットに収容され、父はここで死亡。また、母と妻は別の収容所に移されて死亡します。フランクル氏本人は1944年10月にアウシュヴィッツに送られますが、3日後にテュルクハイムに移送されます。そして、1945年4月にアメリカ軍により解放されるのです。(Wikipediaより)  

  以前、日経新聞社刊の「リーダーの本棚」という会社のトップが新聞読者に推薦したい書籍を紹介する本の中で、どなたかがこの本を推薦していたので、内容は知らないまま購入し、読んだのですが、(良く言えば、先入観なく読めたのですが。。)うーん。。読んでいてこの感想を表現する言葉がしばらく見つかりませんでした。。。

      当時のナチスドイツの人種政策のため、ドイツ国内や占領地のユダヤ人は、次々と拘束され目的地も知らされず長い時間貨物列車に乗せられ強制収容所へ移送されるのですが、このフランクル氏の体験記は、(フランクル氏が乗り込んでいる)移送中の列車の中から始まります。貨物列車の中では一人一人が「自分達は、どこかの軍需工場へ運ばれ、強制労働が待っているのだ。。」と考えています。突然、機関車の汽笛が不気味に鳴り響き、列車は大きな駅へすべりこみます。駅の看板には「アウシュヴィッツ」とあります。それを見た列車内の人々はその駅名を驚きと落胆をもって声にします。当時、ドイツ国内などで迫害を受けていたユダヤ人は、「アウシュヴィッツで何が起こっていたのか?」については正確には知り得ませんでしたが、「おぞましい何か」がアウシュヴィッツで行われていることは、噂話としては知っていたのです。この駅名の看板を見た瞬間、列車に乗っていた誰もが、心臓が止まりそうなショックを受けます。(P13)

  このあと、移送されて来た人々は、収容所の係の者に促され、列をつくりならびますが、その列の先頭には、一人の親衛隊の将校が立っていて、移送されて来た一人一人に指で右、左と進む方向を指示します。これは最初の「選別」で、左へ追いやられた者はあの悪名高い「入浴施設」へ入ることになります。また右へ進んだ者は、「まだ働ける」と判断され、強制労働に従事する被収容者になるのでした。フランクル氏もその一人で、この強制収容所に入ったその時から名前は剥奪され、番号で呼ばれることになります。(フランクル氏の番号は、119104 です。) この「体験記」でフランクル氏は、ここから別の収容所へ移され1945年4月にアメリカ軍に解放されるまでの収容所での生活を描いています。

  人の生死を分ける想像を絶した(或いは人の存在が耐えられないほど軽いような)生活環境の中で毎日を送る人々をフランクル氏は、淡々と、冷静に、客観的に、しかし、力強く、精神科医としての深い洞察を交えながら語っていきます。人の命の重さと軽さ。極限状態に置かれた人々(被収容者)の心理状態。収容所を管理する人々が同じ人間を虫けらのように扱う愚かさ、罪深さ。そういった状況にあっても時折垣間見られる人の偉大さ、力強さ。(フランクル氏によると収容所管理者の中にも自らに危険が及ぶのを覚悟の上で被収容者のために食料や必要な物資を隠れながらに調達した人がいたのです。)

  うーん、、この体験記のページをめくるにつれてこの作品が「体験記」とか「文学」とかの範疇を超えた「魂の軌跡」「魂の体験記」とでも呼ぶのでしょうか。。そんな感動を覚えました。今の時代においても、というか世界大戦が過去になりつつある現代において、社会的な状況が極端なものになれば人類がどんなに罪深い過ちを犯してしまうか。。それと同じ過ちを繰り返さないためにも、今を生きるすべての人にとって読む価値ある作品だと思いました。。。