何のために生きるのか

  京セラ名誉会長の稲盛和夫さんと仏教・浄土思想に関する著作で有名な作家、五木寛之さんとの対談書です。人生について、生きる意味について、お二人の考え方、思いが語られています。お二人は共に昭和七年生まれ。十三歳で敗戦を経験。その後、様々な人生体験、精神的遍歴を踏み越えて一人は実業家、一人は作家として活躍されています。対談にもありますが、お二人は自らの思想、哲学を仏教に求めているせいか、心の波長が合うそうです。

  本書においてお二人の話題は仏教の哲学を基盤にして「日本の自殺者の増加」「心の荒廃」「日本人の宗教離れ」「国際化」などに及ぶのですが、私が一番感銘を受けたのは、五木さんが本書の中で語っている御自身の少年時代の体験でした。

  五木寛之さんの生まれは福岡。小学校の先生だったお父さんは五木さんが幼い頃、教育者としての出世を夢見て、当時日本の植民地だった韓国の全羅道へ家族と共に移住します。全羅道で教育者として順調に出世していくお父さんですが、ここで五木さんの人生の大きな転機が訪れます。日本の敗戦です。「私たちは植民地に宗主国の支配民族の一員としていたわけですが、敗戦と同時に立場が逆転してしまい、それまでの支配者がパスポートを持たない難民になるという体験をしたわけです。それこそ天国から地獄、すべてがひっくり返ってしまった。」(P188) この自分の中の価値観が180度ひっくり返った体験が今のものの考え方をする、あるいは、今の作家としての考え方の出発点だった、と話します。この日本の敗戦をきっかけに天皇中心の国家意識も根底からひっくり返され、仕事や奥さんを失った五木さんの父親は気が抜けたような廃人同様の人間になってしまい、その時点から13歳の五木さんは、一家の長として弟と妹の面倒をみるようになったのです。それから二年後、五木さんはやっとの思いで博多へ帰還することができたのです。「その間の一番の大きな問題は家族の崩壊を目の当たりにしたことですね。父親の威信というものが目の前で崩れていくのを見たわけですから。大人はみんな頼りにならない、そして国も頼りにならないと強く思いました。」(P195) 五木さんは「そういった父親の姿を目の当たりに見ているものですから、あのときの崩壊感覚というのは常に自分のなかにある。こうして人生を振り返ってみると、どうもそれが自分の原点になっているみたいです。」と語っています。自分の身に置き換えても想像できない、壮絶な人生体験ですが、仏教や浄土思想に五木さんの思想が傾斜するのも国や大人達は頼りにならない、と少年の頃悟ってしまったからなのでしょう。「そういうどん底の原点に、五十年、六十年たってもすぐに戻れることが自分の財産だと思います。」(P202)

  これまで、五木さんという作家の本は読んだことがなく、たまにテレビの対談などで拝見する時も「なんとなく悠然とゆったりして生きている(話し方もそうですが)作家」というぐらいの印象しかなかったのですが、五木さんのあの「悠然さ」「ゆったり感」というのは、日本社会をどこか達観した境地から冷めた目で見つめる五木さんの人生観というか哲学から来ているのだと理解することができました。